ソープランドは江戸時代に存在した?
日本で唯一本番が出来る風俗ソープランド。実はソープランドは江戸時代に存在していました。
遊郭というのは皆さんご存知とは思いますが、実は遊郭の他にも売春業界には、湯女という業種があり、この湯女という職業の方が
現在のソープランドに近いとされています。
では湯女とはどんな事をするのか?ですが湯女は、江戸時代の銭湯にいた垢擦りや髪すきのサービスをする女性の事を湯女といいました。
当初は垢擦りや髪すきのサービスのみでしたがそのうち飲食や音曲にくわえ売春をするようになりました。
銭湯は江戸時代当時は混浴であり、湯を沸かす材料が貴重であったため、保温効果を保つため銭湯を締め切り薄暗くなっていたそうです。
江戸時代のカップルは銭湯に一緒に入りにいくというデートをしたり、女性のナンパを目的として銭湯に行くというような男性客も少なくはありませんでした。
風呂は朝から沸かし営業をしましたが大体夕方4時頃には銭湯を終わりになり、夜仕度をした風呂の上がり場では湯女が三味線などを弾き小唄などを歌いました。
この湯女は、大変人気になりました、吉原に比べ値段もお手頃だった為です。一世風靡したのは丹前風呂(たんぜんふろ)という銭湯です。丹前風呂では30人ほどの湯女を抱えており、丹前風呂の前を通る男たちに『ひと風呂浴びて、遊んでいきなさいよ」と窓から湯女が声をかける姿がよく見かけられました。
しかし、風紀の乱れなどを恐れた幕府は湯女や混浴を禁止し、銭湯に湯女は3人までなどの規制を作りましたが、その規制もどのくらい守られたのかは解りません。
この湯屋によって吉原は揺るがされるほどだったといいます。
さしずめ吉原は高級ソープランドで湯屋はヘルスと行ったところでしょうか?ですので男達は安い湯屋へ行ったといいます。