風俗と切っても切れない性病の悩みを解決!
性病の歴史
性病の歴史
性病の歴史は冒頭でも記載しましたが、その歴史は長く売春や風俗では切っても切れないくらい深くその歴史は江戸時代やローマ時代までさかのぼります。
今回は有名な遊郭があり、現在でもソープ街として 有名な吉原にスポットを当てていきたいと思います。
江戸時代の吉原でも、性病が蔓延していました、クラミジアや淋病やケジラミ症なども流行っていましたが梅毒は抗生物質が発見されるまで恐れられていた病気です。
梅毒は不治の病とされていました。梅毒は感染後一度症状が出てから二年から三年ほどの潜伏期間があり、当時の迷信として一度梅毒にかかったらもうかからなく、妊娠もしづらい体になるとして梅毒にかかったら一人前の遊女になったと言われており、潜伏期間の間大勢の感染者をだすことになりました。
江戸時代の性病対策としては、弁天様への神頼みです。性感染症の原理は解明されませんでしたので、不完全な避妊法したありませんでした。行為の後に入念に洗浄したり、和紙で詰め物をしたり、でんぷんで固めた物や動物の皮や魚の浮き袋でつくったコンドームも存在したとされていましたが普及していたかどうかは不明です。
梅毒の治療として水銀を用いた療法があったようですが毒性の強うものなので扱える医師は限られていたようです
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死亡しても引き取り手がない遊女は、新鳥越の西方寺、三ノ輪の浄閑寺のどちらかに埋葬されたそうです。
この西方寺・浄閑寺が、通称投げ込み寺と言われるものです。
ちなみに投げ込み寺の由来は、墓穴に投げ込んで終わりとするほど簡単な葬式だったことからきているそうです
梅毒は感染後、10年ほどすると脳や神経を侵され死に至ります。
現在の性風俗もクラミジアや、淋病、ケジラミなどが蔓延しています。クラミジアや淋病は症状があまりでないため感染を広めてしまいます。
梅毒も江戸時代では死に至る病気では有りましたが現在では、1942年にペニシリンが発見され梅毒で死ぬという人はいなくなりました。
しかし、1981年に性交を通して感染する HIVが人類の前に姿を表しました。
今現在HIVを完治させることはできないとされています。
